当院のご案内
はじめての方へ、当院のご案内
当院は首都圏を中心に全国展開している大手整骨院グループの1院です。毎年沢山の新卒のスタッフを採用してます。クラシオンでは入社後すぐに配属をするのではなく本社で1〜2ヶ月研修を行います。しっかりと技術を身につけてから店舗に配属されますので、患者様は安心して施術を受けていただく事ができます。新人研修が終わった後も学びの場が沢山あります。定期的に社内勉強を開催しております。マッサージ勉強会や、矯正勉強会、鍼勉強会、その他にも沢山の勉強会がありますので、クラシオンのスタッフは確かな施術技術を持っております。当社最大の特徴としては、1年で3年分の学びを得ることが出来るとこです。社員教育には年間一億円以上の費用を使い、スタッフを教育しています。保険診療だけに頼らず、手技を中心とした施術に力を入れており、年間100万人の患者様にクラシオンオリジナルのメニューを提供しております。
スタッフのご紹介
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不定愁訴もお任せ!
- 丸山 雄輝(まるやま ゆうき)
- 施術スタッフ
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出身地:茨城県取手市
血液型:B型
趣味・特技:読書、映画鑑賞、ゲーム
資格:柔道整復師、鍼師 - 地域のみなさまへこの世界いくつになっても未熟だと痛感しますが、精一杯知識を蓄え、地域の皆様に還元できれば嬉しいと思っております。少しでも身体に気になることがあれば相談だけでもお聞かせください。
施術家になるまでの自分小学生の時は警察官、中学生の時は先生、高校生の時は何でもよかったと色々ありました。しかし、勉強が得意というわけでもなく大学で難しそうなことを学べる自信がなかったのも事実です。もともと両親に肩揉みやマッサージをすることはあって学生自体もたまにマッサージをする休み時間を過ごしていたこともありその道で何かないかなと専門学校などの説明会を受けた時にこの職業に出会いました。得意なことをしてお金を稼げると安易に考えた私は何の迷いもなくこの道を選びました。しかし、問題だったのは過敏性腸症候群を持っており、高校生の時は登校すらするのも危うい状態だったので少しだけ不安はありましたが、私の通っていた学校は午前午後のどちらかで大丈夫ということだったので無事通うことができました。入ってからは見ず知らずの単語などにあたふたした覚えがあります。勉強苦手なこともあり苦戦の嵐でした。今でこそ自発的に勉強ができるようになりましたが、人生像が明確で無い分身にやる気が入らず、その場凌ぎでテストを超えてましたが二年生の後半にある出来事が起こりました。専門学校自体初めて赤点を取りました。その結果を聞いたのも全国大会の会場ということもあって鮮明に覚えています。その時真面目に勉強していればよかったと後悔の念が募りましたが泣きながら課題をクリアし、再試験で無事合格した後から勉強をするようになりました。すると今まで何となくだった知識が明確なものになり、学年でも10位以内に入れるようになりました。そこから勉強の楽しさがわかり、自発的に勉強するようになりました。あくまでも試験のための勉強ですが…。そして、勉強が楽しく鍼灸師の道も選びました。おかげさまで鍼灸師の学校の時は学年1位を何度か取らせてもいただきました。西洋医学的な柔道整復師とは違い、東洋医学も勉強しなければいけなかった分難しかったですが、先生がよかったのか東洋医学がスッと知識として定着していきました。国家試験も特に転けることなく無事柔道整復師と鍼灸師として卒業できました。卒業する頃には勉強の楽しさを教えるために先生の道も模索しましたが、一度現場を体験しておいた方が身のためとアドバイスをいただいたので、現場で施術家になることを決めました。
新人・修行時代の自分我孫子から始まった自分は恵まれた新人時代を過ごしました。ダブルライセンス(柔道整復師と鍼灸師)を持って、アルバイト歴もない私は施術のことはわかっても接遇の面などは全く分からなかったのでとても厳しいものになると思っていましたが現場の先生方、受付さんが優しく教えていただいたので覚えが早かった印象があります。もちろん、先輩ありきの成長速度だったと今は痛感しております。知識としてはあるものの感覚が上手く掴めないことが多かったです。先輩は院長をはじめ全員素晴らしい経歴を持ち各々がセミナーなどに赴き勉強してきたことを還元してくださって知らない世界も知ることができました。もう一人いらっしゃったら鍼の先生は西洋医学に強く、自分は東洋医学に強いと双方のいい部分を活かせた施術を任せていただいたので東洋医学の経験はもちろん、先生の鍼の技術も吸収しできるいい環境だったと思います。地域の皆様からとても信頼されており、技量や熱量の差を目の当たりにしていたので目指す先生像が明確になっていました。目標が定まっていたので苦なく勉強に勤しむことが今なお継続できています。入社をして時間は経ちますが、この世界ずっと修業だと思っているので初心を忘れずに勉強を続けていきたいと思います。
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接遇
- 野原 琉花(のはら るか)
- 施術スタッフ
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出身地:岐阜県
血液型:B型
趣味・特技:映画鑑賞
- 地域のみなさまへ少しでも姿勢の悩みなどがあればお気軽に整骨院にお越しいただき理想の体になるように皆様のお役にたてれるように技術磨き沢山の人を笑顔にできるように精進して参ります。一緒に理想の体をつくれるようにサポートさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
施術家になるまでの自分中学生の時部活をやっていて怪我をした時に整骨院でお世話になった先生に憧れてこの職業を目指すようになりました。最初は全く興味もなく、夢もなくて将来も考えたこともなかったです。だけど整骨院の先生とお話をしてくうちに私も整骨院の先生みたいに人の手助けをできるような人になりたいと思うようになりました。高校に入って違う職業に興味をもったのですがしっくりこなくてずっと迷っていました。高校3年になって進学か就職を決める時に就職した方がいいかなと思って就職しようとしていました。だけど担任の先生に後悔しないか聞かれてすごく迷いました。先生が後押ししてくれなければ私は夢を諦めて就職していたかもしれません。先生がやりたいと思ったことは諦めずに挑戦した方がいいと言ってくださったおかげで夢を諦めずに進学という道を選ぶことができました。その時の高校の先生にはとても感謝しています。専門学校に進学してからはその夢を叶えるために勉強を頑張りました。だけどやっぱり大きな壁に当たってしまうこともあり、すごく勉強が嫌な時もありました。その時も学校の先生方のサポートや一緒に頑張っている友達の支えのおかげで大きな壁も乗り越えることができました。
新人・修行時代の自分新人研修の時は初めはすごく緊張して同期の子達とも仲良くなれるかも分からず技術も初めてやることで全く分からなかったのですが先生方の優しいご指導のもと同期とも仲良くなり技術も一緒に高められるようになりました。色んな手技があり一つ一つ覚えることがすごく大変で難しかったり接遇面でもタオルワークなども気おつけながら一生懸命取り組むことができました。現場の研修先でも時間がある時に先輩の先生がMAを丁寧に教えてくださり押し方のポイントや圧のいれかたなどを丁寧に教えていただきました。初めて患者様に入った時はすごく緊張して会話など全くできなくて自分のやることに精一杯で余裕がなかったんですけどゆっくり慣れて言ったら大丈夫と言っていただいて少しガチガチだった緊張がとけた感じがしました。現場の先生方は経験が大事だからとたくさんの患者様にはいらさせてもらいました。たくさんはいらさせて頂いたことで患者様とのコミュニケーションが取れるようになりました。コミュニケーションがとれることによってすごく楽しく施術ができるようになりました。先輩方のおかげで研修中たくさんのことを学ぶことができました。これからも精進して行きたいと思います。
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雰囲気のいい整骨院
- 山城 雄輝(やましろ ゆうき)
- 施術スタッフ
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出身地:沖縄県名護市
血液型:O型
趣味・特技:スポーツ観戦
資格:柔道整復師 - 地域のみなさまへお身体の辛さでお悩みの方は是非一度当院にお越しください。豊富な施術メニューの中から患者様一人一人に合ったオーダーメイドの施術を一度お試しください。一緒に理想のお身体に向けて頑張りましょう!
施術家になるまでの自分僕は6歳から野球を始め、中学の最後の大会が終わるまでずっと野球ばかりやっていました。そして高校進学の際にラグビー部に誘われてラグビーを始めました。ラグビーを初めて3ヶ月も経たないうちに足首の骨折靭帯損傷のを経験しました。怪我をしてからは、ラグビーを続けていけるか不安でしたがその時リハビリを担当してくれたラグビー経験のあるトレーナーの柔道整復師の先生からリハビリと今後怪我をしない身体づくりを教えて頂きまたラグビーの楽しさも教わり前向きに復帰に向けて頑張ることが出来ました。その先生がいなければラグビーを辞めていたと思うし今の仕事には就けていなかったと思うので、とても感謝していますし、自分もこういう仕事をしてみたいなぁと思うようになりました。高校3年になり進路を決める時期になると大学でもラグビーを続ける選択肢と迷いましたが、ラグビーの顧問やコーチなどとも話をさせて頂き施術家の道を目指す事に決めました。 柔道整復師の専門学校に進んでからは今までの学習量とは別次元の量の授業や課題をこなさないといけませんでした。正直ついていくのに必死でしたが学校の先輩方からのお話や現場で働く施術家の先生方の良いお話を聞くことでモチベーションに繋げていました。 就職を千葉県に決めた1番の理由は日本一の会社で働いてみたい、自分がどこまでの人間なのか見てみたいとと思い、沖縄から同期3人で上京することを決めました。
新人・修行時代の自分 まず、地元沖縄を離れ関東だの一人暮らしが自分に出来るのかが1番不安でした。家族や親戚、友達からも心配されましたが同期の2人もいるし、なんくるないさー精神で沖縄を出ました。上京して入社式までの数日間は東京、千葉を満喫していました。新人の頃は、初めての関東での生活や慣れない電車通勤などで毎日生きるのに必死でした。本社での研修期間も同期と一緒に技術練習に励み、会社の事や社会の事などを多く学ぶことが出来ました。初めて施術に入ったのは、入社して2か月目です。すごく緊張したのを覚えています。患者様の感じ方や効果などを細かく聞けたことで今の経験値に繋げることが出来ています。施術に対しての不満を言われることがありましたがその都度先輩などからアドバイスを頂いたり、技術練習にも付き合って頂いたことが成長に繋がったと感じています。現在も現状に満足せず初心を忘れることなく患者様に対して接することを心がけております。また、2年目以降には新患様に入らせていただく機会が増え患者様の症状や悩みなどを聞き出すためのコミュニケーションにも悩む時期がありました。当時の院長先生と問診練習を繰り返し、初めての患者様に対しては会社の顔にもなるので責任を持って対応しなければいけないことを学びました。それからは、スタッフの入れ替えや自分の異動などで変化は沢山ありましたが今現在は楽しく仕事が出来ています。患者様からありがとうを頂けるよう毎日仕事に励んでいます。
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気軽に通いやすく明るい元気な院
- 江戸 悠真(えど ゆうま)
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出身地:北海道札幌市
血液型:A型
趣味・特技:古着、サウナ
資格:アスレティックトレーナー - 地域のみなさまへ皆様のお身体のお悩みご相談下さい、日常生活での辛い日々が続いている方はそれを緩和していきます!困っている方はぜひご相談ください!皆様のご来院おまちしております!
施術家になるまでの自分小学生の頃からスポーツをやっていてスポーツ関係の仕事につきたいと思い、将来の夢で施術家になると決めていました。鍼灸や柔道整復師の資格も欲しいと思ってはいたのですが、トレーナーの資格も欲しくトレーナーの資格取れる専門学校に通い始め無事トレーナーの資格を取ることができました。サッカーとバスケをやっていたのですがその中で怪我につながるようなプレーが頻繁に起き、プロの選手でも怪我で悩まされる選手も多くいたので、学生や自分の身近な人たちの身体の悩みを緩和できるように筋肉の名前や構造働きなどをしっかりと学び、トレーナーで学んだことを発揮出せるようにしっかりと会話技術も向上し、コミュニティケーションも大切にし、色んなことを積極的にやるということを行動してきました。実習などでトレーナー活動をしながらアルバイトでシフト作成など人と関わる場面が多かったのでいろんな話題を出すのが得意です。元々明るい性格なので誰でも気軽に話せるような空気作りをしています。高校生の時は部活に専念をしていてバスケ部をやっていました。バイトをしながら部活をやっていて忙しい日々が続いていたのですが、それが楽しく高校生活はとても充実していました。専門学生になってからは資格を取ることを意識ししっかり勉学に励み、人のためになるようなことをしていきました。
新人・修行時代の自分マッサージをするときに指がとても痛くなることがとても気になっていて、それが原因で力が弱くなったり指だけの押し方になっていたので尖ったような痛さがあり、手順はもちろん技術面での覚えることがたくさんあり、学ぶべきことがとても多く先輩に聞いたりマッサージを受けてもらってうまく行く場所とうまくいかない場所が明確に出てきて、練習をしたくても指が痛くて自分の思うようにできないことがありとても苦しい思いを2ヶ月間続きました。ですが、だんだん指が慣れてきて痛みから痺れに変わり自分の指の痛さよりも受けてる側の感覚がだんだんわからなくなってきました。アドバイスなどをいろんな先生から聞いていろんな先生に技術を見ていただきました。技術だけじゃなく、接遇面や話し方内容など徹底的に練習し、まだまだできてない場面が多々あるのでしっかり勉強やいろんな先生方に見ていただき患者様に頼られるような存在の先生になることを目標にしていきました。いまもまだ修行をして、まだ新人なのでこれからもたくさん学んでいき、患者様のニーズに合わせた施術や相談などをしっかりと受け、患者様の身体のお悩みををいち早く緩和できるように先輩の先生方に質問したり、技術面などもしっかり見てもらい自分の価値をもっと高めていきます。